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浄土宗公式HP
深川七福神 福禄寿
双葉幼稚園
心行寺双葉ホール

心行寺について

双修山養源院と号し、元和2年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立。開山は観智国師の高弟、光蓮社団誉一路屋道上人、開基は岩国城主吉川監物の室養源院殿である。寛永10年(1633年)現在地深川寺町に移転した。「御朱印地・拝領地寺社帳」によれば、当時は間口四十二間、奥行四十二間、千七百六拾四坪の境内地で現在もほぼ当時の面影をとどめている。往時は影窓院・正寿院の2つの末寺があったが、その後合併された。旧本堂庫裡は大正12年9月関東大震災により焼失、その後昭和7年に再建された本堂庫裡も昭和20年3月戦災のため再度烏有に皈した。現本堂は浅香富三氏設計により奈良平安朝様式に現代風を加味して昭和42年完成したものである。

宗派について

私たちの宗旨

名 称 浄土宗
宗 祖 法然上人(源空)
開 宗 鎌倉時代 承安五年(1175年)
本 尊 阿弥陀如来
称 名 南無阿弥陀仏
教 義 阿弥陀如来のお誓いを深く信じ「南無阿弥陀仏」と称えることによってどんなおろかな罪深いものでも一切の苦しみから救われ明るく安らかな毎日が送ることができ、そのままの姿でりっぱな人間へと向上し浄土に生まれることが出来る教えです。
お 経 お釈迦さまがお説きになった『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』をおよみします。
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史跡


【開基養源院殿の墓】
承応3年(1654年)10月18日没、現存するのは当時の墓石である。
 
【工藤琳甫の墓】
仙台候の侍医。蘭学者として著名。寛政12年(1800年)没。
   

【五重石塔】
元亨4年(1324年)3月24日の銘あり。江東区に現存する最古の金石文である。
 
【宝筺印咒塔(川口直供養塔)】
直は文化文政の頃の名妓、清元節の名人で、のちに『川口』という料亭を開いた。夫の忠七は笛の名手であった。
   

【五世鶴屋南北の墓】
『四谷怪談』の作者で大南北といわれた四世鶴屋南北の孫で河原崎座の立作者として活躍し、門下に河竹黙阿弥がある。嘉永5年(1852年)没。
 
【影窓院地蔵】
この石造地蔵菩薩立像は、当時に影窓院と正壽院の二つの塔頭があり、影窓院にあったので、この称号があります。結緑地蔵として縁むすび、願いごと成就の地蔵尊として参詣者で賑わいます。
   
【悟道軒円玉の墓】
明治・大正・昭和にかけての劇作家、墓は門弟川口松太郎氏によって建立された。
  【松本交山の墓】
谷文晁に師事。酒井抱一とも交わり、尾形光琳の画風を取り入れて一家を成した。富岡八幡宮二軒茶屋松本の出身。慶応2年(1866年)没。
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境内案内


【本堂】

【六角堂】
深川七福神の福禄寿を安置
【弥陀三尊】 【本堂内観】
内陣中央には弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)が安置され、お念仏の声とともお浄土の世界へと誘い、暫し我をふり還る静寂な空間です。
【三尊来迎図】
本堂の左脇陣にある御厨子には「三尊来迎図」が安置されています。浄土教に説かれている臨終の際にお浄土へお導き下さる三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)です。奈良国立博物館にある「三尊来迎図」(石川県・心蓮社所有)を、高松塚古墳修復にも携わられた文化功労者・守屋多々志画伯によって模写されたものです。

【観経曼荼羅】
本堂の右脇陣にある御厨子には「観経曼荼羅(マンダラ)」が安置されています。これは『観無量寿経』の所説に基づいて阿弥陀仏の極楽浄土の有様を表した図絵であります。有名なものには奈良当麻寺にある中将姫が蓮系をきって織ったと言われる『当麻曼荼羅』がありますが、当寺のも室町~江戸期にかけて模写されたものの一つで、これほど保存状態が良いのは数少なく、極楽の世界が手にとる様に分かります。

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